FBに書こうと思ったら長くなりすぎたので3年ぶりにブログ更新してみたけど

小6のとき、まわりの友だちが通ってるから自分も、というだけの理由で塾に通い始め、
流されるがままに中学入試を検討し、志望校を家から割と近い優秀な学校にセットしたけど、
最初の模試の結果がE判定。「こらあかんわ」って思ってそのまま公立中学に進学。


そのまま塾に通い続け、学校のテストはいつもだいたい満点だったし、
それが当然と思ってる嫌なヤツだったので、頭悪いヤンキーに目をつけられてヤキ入れられたり、
反抗期も経験したり、こじんまりと悪さを覚えたり、本格的に洋楽を聴き始めたりして、
割とふつうに過ごしてた気がする。


ただ副教科を頑張れず(特に美術)内申点は最悪。
北野に行くもんだと思ってたのが、3年の1学期に担任に勧められたのは、学区で4、5番目の学校。
んなアホな、って思って私立専願にシフト。無事合格。


高校は男子校で自分みたいな副教科苦手なやつとか多くて、なんかすごく落ち着いた。
痛いやつもいるけど、悪いやつもいないし、気の合うやつもいて、
放課後につるむみたいなことはなかったけど、けっこう楽しく通ってた。
ただ、中学と同じような調子でテストを受けてたら、クラス46人中33位くらいで、
ちょっと「あれ?」ってなった。


高1の春休みに骨折をし、競技の大会に出れなくなり、やることないのでまた塾に通い出す。
塾長は大学行ってからいっぱい遊べって言うし、そういうもんだと思ってとくに不満もなかった。
小学校からの同級生たち(公立組)と一緒だったので、なんか共に戦う同志みたいな気分で楽しかった。


段々成績も上がり、高3の実力テストでは学年トップもとった。模試も夏頃がピークで全部A判定。
不思議な感覚だったけど、まあこのまま普通に志望の国立大学に行くのかなあって思ってた。


マークシートが苦手だったけど、センター試験は足切点のラインで、
これはちょっとやばいなーとか思って寝た翌朝、アホみたいに揺れた。
テレビつけたら「大阪は震度4、神戸は震度6?さすがにこれは誤りですかね」
ってアナウンサーが言ってたけど、ほんとは震度7だった。
阪神高速が倒れてる映像を見ても、現実に思えなかった。


滑り止めで東京の私立を2つ受験。
マークシートだった上智は、慶應の受験後に直接発表を見に行ったら落ちてた。
おじさん家に向かう中央線の中でちょっと凹む。


いざ第1志望の国立大学の二次試験当日。
自分の前の席に座ってたのは、中学から有名私学に進学した小学校の同級生。
小6で通った同じ塾では彼はS組、俺はC組(S→A→B→C)。中学受験ってなんやろねって一瞬思った。


テスト1日目が終わって帰ったら、慶應の結果発表。
おとんはその日東京に出張だったけど、「どうせ落ちとるやろうから見に行くのやめた」って。
自信はあったけど、上智のときに「たぶん受かってる」とか吹聴したのに落ちたので、大人しくしてた。
無事合格。ばあちゃんに電話したら泣いて喜ばれた。


気が抜けたのか、本命の受験に身が入らず、結局前期・後期ともに落ちる。後期のときとか遅刻したし。


担任の先生に報告に行ったときに「浪人せんのか?」って言われた。
予備校も授業料免除だったし、そのほうがコスパ良いなとは思ったけど、
東京での花のキャンパスライフを過ごすイメージを前に18歳男子の心はあっさり流される。


上京。あこがれの一人暮らしは最初の数日だけホームシックになった。


受験のころ読んでた「東京大学物語」のイメージがあって、チャラそうなやつばっかなんだろう
って思ってたけど、文学部に進学する男子なんてのは変わったやつが多くて、なんだかんだで気が合った。
クラスの3分の2が女子で、しかもなんかみんなかわいくてキラキラしてて(そのときはそう感じた)、
男子校育ちにはちょっとどうしていいかわからなかったけど、まあそれもすぐに慣れた。


なんてことをこれ読んで思い起こしました。
要は自分で決めればいいと思うんです。
自分も親にそうしてもらったし、希望に応えられる環境を用意する必要はあるけれど。
中学受験体験記 http://anond.hatelabo.jp/20170206102543